私とお年玉の50年
お正月といえばお年玉。
小さい頃は嬉しくもあり、少し怖くもあった。
怖いと言うのは、お年玉を貰うと、必ず母に金額を聞かれ、額によっては母が不機嫌になったり怒られたりしたためだ。
怒られたというのは、実際のところはニュアンスが違うのかもしれない。でも、子供心には怒られてると感じるようなことを言われたと思う。
母が思う以上の金額のお年玉を貰うと、母は「そんなにくれたの?」と責めるような口調で言い、「すぐ使うんじゃないよ」とか「そんなにお金を持っていたらダメだ」とか、とにかく貰った方が萎縮するようなことを言った。
なぜそんなことを言うのか、気持ちはわかる。
自分で稼ぐことも出来ず、お金の価値もろくにわからないような子供が急に大金を手にして、無駄遣いでもしたら大変だということだ。
でも、貰う側の私がどうにかできることではない。
その場ですぐ袋を開けて、こんなに貰っちゃったよと言えばよかったのか。
そんなことをしたら、烈火の如く怒られるのは目に見えている。
時には、母がその人に良くしているから、お年玉がこんなに貰えるんだと私に言うこともあった。
自分のお陰だということだ。
貰ったお年玉を取り上げられることはなかったが、こういう風に言われると自分のお金ではないような気がしてきて、モヤモヤすることがあった。
時を経て、私もお年玉をあげる立場になった。
親戚がとても少ないので、たいした額ではない。
日頃、ほとんどつきあいがなく、正月に顔を合わせるだけ。
おつきあいとしてのお年玉だ。
貰う方は当たり前のように、それでもお礼は言って貰う。
その姿を見てると、貰っても嬉しそうに見えなかったであろう、子供の頃の自分を思い出す。
母に何か言われるのが嫌で、貰う前から母の顔色を窺っていた私を。
受け取ると同時に、母が「ちゃんとありがとうって言いなさい」と言い、出鼻を挫かれたような状態になり挨拶もろくにできない子のような私の姿を。