言いたいことdiary

50代になって思うこと

私と卒業の50年

私は卒業式が大嫌いだ。

元々、環境が大きく変わることが恐れを感じるくらい苦手なので、これからの新生活への不安と、今までの生活に別れを告げるのが嫌で、我慢していても泣いてしまうからだ。

それも半端なく泣いてしまう。メソメソと涙を流しているくらいならまだマシ。

その様子を誰かが見てたり、見てなかったとしても、見られたらと想像すると、必死に涙を止めようとして更に涙が出る悪循環。

「大丈夫?」なんて誰かに言われたりしたら、もう感情が爆発して収拾がつかない。

自分では泣きたくないのに泣くという状態になり、抑制できない自分がほとほと嫌になる。

涙の量と悲しさが反比例するのだ。

それがわかっているので、卒業学年になると心の片隅にうんざりする気持ちが生まれ、卒業式が近づくと共にどんどん大きくなる。

小学校の卒業式で、私はある大役を任された。

自分で志願したわけでも、先生が推薦したわけでもない。有無を言わさず、やらねばならない役。

初めてその役を練習した時、みんなの前でダメ出しをされ、どっと笑いが起きた。

それ以来、また笑われたらどうしようと、体がうまく動かなくなり、軽いパニック状態になった。

母にも嫌だと言った。でも全くわかってもらえず、「堂々としてればできるんだよ」という、激励ともつかないことを言われ、なんでこんな簡単なことができないのか、こんなことを泣いて嫌がるなんて意気地がないと言われ、しまいには怒られる始末。

2月頃から授業をつぶして卒業式の練習に充てたりしていた。私の役をこなす練習は毎回ではなかったけれど、今日はあるのかないのかと、ひとり恐怖だった。

あまりにも私ができないので、ひとり居残って、先生数人と特訓したこともある。集団で見られているのではないので、そういう時は上手くできる。

誰も私の苦しさをわかってくれなかった。

 

自分の子供を持ったら持ったで、また卒業式を経験しなくてはならなくなった。

これも本当に嫌だった。泣きすぎてしまうのだ。

自分の時とは違って、子育てのここまでの日々を思い、成長を感じ、堰を切ったように涙が溢れてしまい、ビデオ撮影も写真もまともに撮れない。

なんでいい大人になっても私はこうなんだと、懸命に気持ちを切り替えようとするけれど、考えれば考えるほど涙は流れる。

知り合ったお母さん、お世話になった先生にちゃんとお別れを言いたいのに、言おうとすると涙が先にきてろくに話すこともできず、それが恥ずかしくて逃げ帰ってしまう。

そしていつまでもそのことを考えて、挨拶すらまともにできなかったことが情けなくて悶々とする。

こういう場面で全く涙も流さない人はどういう精神状態なんだろう。

悲しい気持ちはあっても泣けない人の方が何倍もいい。むしろ、そうなりたかったくらいだ。

子供の卒業式前には、あまりにも憂鬱で、急に熱を出したりしないだろうか、休むわけにはいかないだろうかと思い詰めるほど嫌だった。

行きたいのに行きたくないのだ。この気持ちを上手く表現できないので、子供に、「無理に来なくていいよ」と言われたくらいだ。

自分と子供、数回の卒業式を経験したが、全くいい思い出がない。

卒業シーズンになる度、人生やり直せるなら、強い人間になって、思いっきり泣いて笑って楽しい卒業をしたかったなと思う。