私と読書の50年
今日は一粒万倍日と天赦日が重なる日。
こんな日は楽しいことをテーマにしよう。
私の子供の頃の楽しみは読書だった。時間を忘れるほどのめりこんで、叱られることもしばしば。
本の厚みがあればあるほど、楽しい話に違いないとワクワクした。
どういうわけか、私が通っていた小、中学校は、自由に図書室に入ることができなかった。
日常的な貸し出しももちろんなし。
本があるのに読めないという、すごく不思議な状況だった。年に何回か、図書室に入るチャンスがあり、そういう時は、どんな本があるのか見て回るのに忙しかった。
夏休みなどの長期休暇に入る前に、1人5冊だったか、貸出してもらうことができた。
通学は徒歩で1時間弱、歩いていたので、本を持って帰るのは至難の業。
20代の頃、来る日も来る日も本を読んでいたときがあった。好きなだけ本が読めた数年間。
すぐ近くに図書館があり、毎週通った。
それでも読めたのは年間100冊が限界。
そこがピークでどんどん読む暇がなくなり、携帯、スマホの普及と共に、本自体を読むことが少なくなっていった。
ちなみに電子書籍は読める気がしなくて手を出していない。好きな時に、ほんの少しでも読めるという点では、電子書籍は便利なのだと思うのだが。
本屋に行かずともネットでゆっくりと本が選べ、自宅まで発送してもらえるのは本当に便利。
今は、好きなシリーズや作家の作品を集めて、いつか読むべくためこんでいる。
そのせいか、買ったかどうか覚えてなくて、同じタイトルを同じ組み合わせで買ってしまった時は、自分の記憶力の衰えに愕然とした。
あと何年、何冊読むことができるだろう。
そう考えると、ぼんやりTVやスマホを眺めてる時間がもったいない。
読書も体力がないと続かない。